黙ってられない女子大生のブログ

こにたんと言います。都内大学4年生。4月から社会人。Netflixでブレイキング・バッドを見る日々。趣味は合コン、人間観察、ピアノ、ラップ作詞することです。

斜に構えること

 

 

私は非常に斜に構えています。それはそれはひどく。

 

斜に構えていると楽なことと苦しいことがあると思います。

さあ、まずは楽なことから挙げていきましょう。

 

・傷つかなくて済む

・笑われずに済む

・特定の人や分野に入りこまなくて済む

・全力を出さなくて済む

・熱くならずに済む

 

まあすべては1個目の傷つかなくて済む、に要約されるのではないでしょうか。斜に構えている人のほとんどがそれはそれはナイーブ。

 

さあ、次に斜に構えていると苦しいことを挙げていきましょう。

 

・人を傷つける

・会話していて時に不快感を与える

・信用されにくい

・成長できなくなる

・誰のことも信用できなくなる

 

う~ん。枚挙にいとまがありません。

 

とにかく斜に構えていると傷つかなくて済みます。これは本当に楽。

柵の外から中にいる羊の特徴を述べて語るだけでOK。簡単です。

笑いをとるときも簡単。柵の中でちょっと目立った特異なやつを指さして

「ちょっと変わってるよねwww」

なんていってみたりする。俗にいう草はやす、ってやつ。

 

変わってるって言われた柵の中の羊は、斜に構えているやつのことを

「くだらねえかっこ悪いやつだ」と考え無視するか、(これはほとんどの場合だが)そもそも斜に構えてるやつのことが眼中にないことがある。

 

しかしごく稀に、斜に構えてるやつの発言を本気で受け取る柵の中の羊がいる。そして傷ついたりする。

何か頑張ったり、取り組んだり、行動を起こしたことを笑われる。

それがたとえ無意識な行動だとしても(勇気を出して行った行動ならなおさら)、斜に構えてるやつの生やした草は刺さるだろう。

 

それを、「くだらない、子供だ!かっこ悪い!」ってスルーできればいいのだけれどそうもいかないやつは柵の外の斜に構えてるやつになりたいと思ってしまう。

 

自分も柵の外で指さして笑っていたい。そっちのが楽だし楽しそうだし恥ずかしくないし…なんて。

 

これ、よくない。

 

非常によくない。

 

柵の外に出るのは意外にも簡単。いつだってできる。

柵の中にいた時あんなに怖いって思っていた柵の外の斜に構えてるやつには、案外簡単になれるものだ。そして案外簡単になれる上に居心地がいいもんだから、斜に構えることは一時の現実逃避から癖になって、癖はやがて性格になって、その性格が自分の人生になる。これは似たような言葉をかの有名なマザーテレサが残している。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 

「思考、言葉、行動、習慣、性格、運命」マザー・テレサ

 

人生、柵の外で終えていいの?

 

柵の外にいたら、人から注意されたり非難されたりしても、逃げが生じる。

「自分は関係ないしw」

「そんな本気じゃないしw」

「そもそも乗り気じゃなかったしw」

こんな風にお得意の草を生やして逃げられる。

 

これじゃ、成長できない。

 

いつでも逃げ道残してたら、何事にも本気になれないと思うんです。本気になってこそ見える景色とか、本気になってこそ楽しめることとか、本気になってこそわかるものっていっぱいある。

むしろ世の中って本気にならないとわからないことばかりで、本気じゃないうちはどれもくだらなく、つまらないものに見えてしまう。

勿論、本気になれることこそが自分にとっての面白いことなんだと思うし、斜に構えている人は、斜に構えていることに対してのみ「自分はコレジャナイな」って思ってることもあると思う。

 

しかしこの「自分はコレジャナイ」感。

もったいない。本当に。

 

「自分はコレジャナイ」って思う程自分のことわかっている人なんているの?

「自分コレジャナイ」って言えるってことは、「自分コレダ!」って言えるはずですが言えるの?

 

これから柵の中の沢山の羊にもまれて「自分コレダ!」って毎回思って、泣いて笑ってぶつかって毎回「自分コレダ!」「自分コレダ!」「自分コレダ!」ってこのコレダを変えてくものではないのか?

 

柵の外の斜に構えている人は「自分コレジャナイ」ってことばっかりいっていて、「自分コレダ」ってことは言えてない人が多い気がする。

逆に柵の中の人は「自分コレダ!」を持っている場合が多いし、その「自分コレダ!」がどんどん変化していくことに恐れがない。

 

暫定的でもいいから恐れずに「自分コレダ」を持つこと。

それを主張したり表にだすことは時に否定されたり笑われたりするかもしれないけれど、それも全部全部これからの「自分コレダ」をつくっていく材料だと思う。

 

そして「自分コレダ」こそ、これからの自分の人生だと思う。柵の中の人は自分の人生を生きている人だと思う。柵の外の人は、自分の人生を常に否定している人だと思う。

 

私は勿論、前者になりたい。

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